世界の歴史 中央アジアの遊牧民族

中央アジアの遊牧民族 世界の歴史

Add: azole55 - Date: 2020-11-28 18:45:07 - Views: 2670 - Clicks: 5550

清と中央アジア草原 : 遊牧民の世界から帝国の辺境へ フォーマット: 図書 責任表示: 小沼孝博著 言語: 日本語 出版情報: 東京 : 東京大学出版会,. 紀元前6世紀の中央アジアにはスキタイ系遊牧民族や、イラン系(ペルシア系)のオアシスの農耕民族が住んでいた。 古代より中東や東ヨーロッパには、世界帝国であるアケメネス朝ペルシアが興り、この大帝国に従属したり、戦ったりしている。. 現在、中央アジアのテュルク系民族で上位を占めるのがウズベク人とカザフ人である。 これらの祖先はジョチ・ウルス東部から独立したシバン家のアブル=ハイル・ハン(在位:1426年 - 1468年)に率いられた集団であった。. まず、中国と中央ユーラシアのトルコ系民族について。こちらは、主に中国の史料から明らかにされます。 中央ユーラシアでは、紀元前4世紀、騎馬遊牧民の「匈奴」が最初の遊牧民帝国を築き、たびたび華北(中原)に侵攻して都市文明を脅かします。. Ⅰスキタイ Ⅱ匈奴 Ⅲ中央アジアのオアシス都市国家 Ⅰスキタイ ・前7世紀頃、黒海沿岸のステップ地帯に現れた騎馬遊牧民。イラン系とされる。ヘロドトスの『歴史』に詳しい説明がある。 ・前6世紀にヴォルガ川とドナウ川の間の地域で勢威を振るい、農民や黒海北岸のギリシャ植民市など. ヨーロッパでは宗教改革の嵐のなかカトリックの対抗宗教改革の流れで新しい修道会が作られた。エリート集団イエズス会の結成。イグナチオ・デ・ロヨラが中心となりアジアにキリスト教を広めに行きましょうと決まりフランシスコ・ザビエルがポルトガル王ジョアン3世の依頼を受け1541年リスボンを出発した。 インド航路を通ってインドのゴアから東南アジアに渡ってマラッカ(当時ポルトガル領土)で布教をしていた時に日本人と出会った(1547年)。鹿児島出身のアンジロウかヤジロウという名前の男性で日本で犯罪を犯して逃げて来ていたらしい。1549年アンジロウと共にフランシスコ・ザビエルは鹿児島に到着した。鹿児島では伊集院城で大名島津貴久に謁見し宣教の許可をもらう。都を目指す途中の山口では大内義隆に謁見、堺で豪商の日比谷了珪の知遇を得る。スペインはカルロス5世の晩年、息子フェリペに遺書をしたためた頃だ。 *カルロス5世(スペイン史カルロス1世)についての記事です *<カルロス5世神聖ローマ帝国皇帝> 日本での布教を成功させるためにイエズス会の宣教師たちは日本の事を細かくリサーチしている。茶室や茶の湯の事も報告書に記載されていてヨーロッパでは金銀ルビー等に価値があるのに日本人は茶室や茶器に莫大なお金を使う事に驚いている。千利休がイエズス会の宣教師と同席することもあったし千利休がミサに出席することもあったと想像する。茶道の帛紗(ふくさ)の使い方にミサの所作と似ている動きがあるのは古くから指摘されている。 <南蛮人と話す日本の大名>.

3世紀から6世紀まで(200~600年)の400年間は、騎馬遊牧民が優勢だった時代。 つまり今度は「東西の文明圏<中央の騎馬遊牧民」という図式。 とくに騎馬遊牧民の侵入によって、東アジアおよびヨーロッパ世界が大変動します。. See full list on jugo-blog. 『レオ1世とアッティラの会見』 ラファエロフン族(フンぞく、Hun)は北アジアの遊牧騎馬民族。中央アジアのステップ地帯が出拠と考えられるが、民族自体の出自についてはかなり以前より「フン」=「匈奴」説などがあるものの、いまだ定説となっていない。言語学的にはテュルク語族に. 岩村忍『世界の歴史中央アジアの遊牧民族 12巻』の感想・レビュー一覧です。ネタバレを含む感想・レビューは、ネタバレフィルターがあるので安心。読書メーターに投稿された約0件 の感想・レビューで本の評判を確認、読書記録を管理することもできます。. 中央アジアまたは中央ユーラシアの歴史とは、即ち遊牧騎馬民族の歴史である。 中央アジア人民は、馬に乗れない今の自分たちの状況はあまり考えず、 自分の民族名とは直接関係ない 過去のトルコ人やモンゴル人がどれだけ偉大だったかを自賛したがる。. 400年ごろ、西部・ユーラシア大陸で活動していました。 スキタイは、イラン系の遊牧民です。.

中央アジアの遊牧民族 フォーマット: 図書 責任表示: 岩村忍著 出版情報: 東京 : 講談社, 1977. 7 形態: vii, 311p : 挿図, 地図 ; 22cm 著者名: 小沼, 孝博 書誌ID: BBISBN: 中央アジア、西アジアには、乾燥地域が広がっています。その気候、土地に適応した農牧業が営まれています。 西アジア(イランなど) イランには乾燥地域が多く、農業をするには難しい土地です。 そんな土地では、羊やヤギの放牧が行われています。. ④「世界の歴史12 中央アジアの遊牧民族」 岩村忍著(講談社) ⑤「ソ連現代史Ⅱ」 木村英亮・山本敏著(山川出版社) 1997年度例会発表一覧に戻る. 中央アジアの歴史は、「中央アジア」をどう見るかによって様相を異にするが、一般に、ユーラシア大陸内陸部を拠点とする遊牧民族、およびオアシス国家 の歴史を指す。. 中央アジア; 歴史; 遊牧民: 分類・件名: ndc8 : 204 ndc9 : 204 bsh : 歴史 bsh : 中央アジア bsh : 遊牧民: 注記: 年1月に刊行した文庫版に追加を加えたもの: タイトルのヨミ、その他のヨミ: ユウボクミン カラ ミタ セカイシ: タイトル言語: jpn: 著者名ヨミ: スギヤマ.

シェイクスピア【アントニーとクレオパトラ(新訳)、ジュリアス・シーザー、ヘンリー四世 第一部、十二夜、お気に召すまま、真夏の世の夢】 カラー版世界文学全集39. 放送大学で中央アジアの歴史を聴いた。遊牧民族の匈奴が国家を作っていて、中国の漢人の国家を圧迫した。漢族は大月氏国に使者を派遣して、匈奴をはさみうちにしようとした。遊牧民族の国家は左右両翼制度で、地域部族ごとに組織化されていた。トルコ系のチュルク人がとっけつ国を作っ. アッバース革命が起こりウマイヤ朝が倒されウマイヤ家の血を引く人は皆殺されたが奇跡的に生き残った王子がスペインまで逃げてコルドバを首都に後期ウマイヤ朝を作った。 *後期ウマイヤ朝についての歴史記事です。 *<後期ウマイヤ朝。コルドバカリフ王国の繁栄> この影響でそれまでひとつだったイスラム世界の分裂が始まる。 <セルジューク朝以前のイスラム世界の地図> 分裂した勢力の中のブワイフ朝はイラン人の軍事政権シーア派のイスラム王朝。946年バグダードを占領しアッバース朝を制圧した。そこに草原の遊牧民がやって来る。もともとカスピ海にいた部族でトルコ系騎馬民族セルジューク族。彼らがブワイフ朝を滅ぼしアッバース朝のカリフを助けスルタン(王)の称号を与えられた。 この頃ヨーロッパ中央ではカール大帝によって統一していたフランク王国が分裂を始めフランス、ドイツ、イタリアと別れていく。スペインではビシゴートの貴族がイスラムの侵略からスペイン北部に逃れイスラム教徒と戦うレコンキスタを進めてキリスト教君主国を建国。 <キリスト教君主国の宮廷があったカンガス・デ・オニス> セルジューク朝は次第に力を持ち領土を拡大し聖地エルサレムまでも占領しコンスタンティノープルのすぐそばまでやって来た。 <11世紀のセルジューク・トルコ> これに驚いたのがビザンチン帝国で当時のローマ法王ウルバン2世に援助を頼んだ。「エルサレムをキリスト教徒の手に取り戻せ」とローマ法王の野心も手伝い「神はそれを望んでおられる」の号令のもと十字軍遠征が行われた。 <第一回十字軍アンティオキア包囲戦> 200年間に約7回の遠征、キリスト教徒側の身勝手な理由で残酷な殺戮が行われた。その中には本来の目的とは違うアルビジュア十字軍による同じキリスト教徒の大虐殺やコンスタンティノープルを陥落させ破壊の限りを尽くした第4回十字軍がある。大抵いつも残酷で非道で身勝手なのは西欧側なのです。 巡礼は様々な宗教で行われる人間の普遍的な行為のようだ。ヨーロッパからエルサレムへ向かう巡礼ルートに宿場町が出来交易が行われ人と物が移動した。人間の本質に移動という欲求があるのかもしれない。 エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地で今も紛争の元になっている。1000年頃のキリスト教徒達の生涯の重要事項はエルサレムへの巡礼だった。 <エルサレム地. オスマン族はもともと遊牧騎馬民族だった。ルーツはセルジューク朝の傭兵部隊のオスマン一族。騎馬戦術に長けた勇敢な遊牧民が次第に強大になり西アジアから東ヨーロッパにかけてオスマン帝国を作る。そして東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルに向かってやって来た。 <1453年コンスタンティノープルの包囲> 1453年コンスタンティノープルの陥落によって東ローマ帝国は滅亡した。古代ローマ時代から続いたひとつの時代が終焉し当時ジェノバやベネチアが独占していた地中海の交易をオスマン・トルコが奪いはじめる。地中海での貿易に高い税金がかけられるようになりヨーロッパでの経済秩序が乱れ始めた。 <16世紀イスタンブールの天文学者達>. 世界史で遊牧民はよくトルコ系とモンゴル系で区別されますが、トルコ系とモンゴル系の違いは何ですか? ティムールは祖先はモンゴル系ですが、トルコ系とされています。 ティムールが属する部族であるバルラス族は元はチンギスの七代前のカチ・クルグの兄弟カチュラ、カチウから発する.

西アジアは1200年間ずっと、イラン系民族が主役。 東アジアは400年以上覇権争いして、つぎの400年間は漢が支配して、さいごの400年間は騎馬遊牧民の侵入うけた。 この侵入は中央ユーラシアで大移動があったから。ローマ帝国もその被害者。 これが紀元前600年から紀元後600年までのアジアの歴史。 1回目は以上! つづきは次回の記事で。 600年~1400年(800年間)のアジア史の流れを解説します。 とくにイスラーム諸王朝の流れをどう捉えればいいのか? トルコ化ってなんなのか? モンゴル帝国ってなんだったのか? このあたりの流れをわかりやすく解説する予定です。 →アジアの歴史の流れを超簡単にまとめてみた その2. See full list on tabispain. 「世界の民族」の記事一覧です。 ミャンマーの民族について見ていきましょう。ビルマ族からカヤー族まで、ミャンマーの主要な8つの民族集団を紹介していきます。. . 遊牧民の歴史では、「スキタイ」「匈奴」が、イチバンさいしょに登場します。 ここでも、2つの民族からとりあげていきます。 スキタイは、bc. 北アジア遊牧民族史研究 林 俊 雄 言うまでもないことだが、歴史皐は、個々の事象を寅詮的に解明 埋浅 求される皐問である。ともすると我々研究者は個別具鐙的な研究にすると同時に、それらを総合的に研究して鐙系化していくことが要. 遊牧民族とオアシス国家の盛衰で押さえておきたいポイント ※赤字部分が問題に出そうな部分です。赤色の暗記シートなどで隠して見てください。 内陸アジアの遊牧国家 ・羊や牛、馬などの家畜を放牧しながら、内陸アジア各地を移動した遊牧民は、次第に部族単位で.

アジアの歴史全体を見通すには、上図のような3区分がおすすめ。 つまり東西の2大文明圏と、中央ユーラシアの騎馬遊牧民。 この3者のせめぎあい・まじりあいこそがアジアの歴史。 読者はこの構造を頭にいれて読みすすめてください。 ちなみにインドと東南アジアまで含めるとややこしくなるんで省きます。 関連記事 ヨーロッパの歴史の流れを超簡単にまとめてみた ヨーロッパの歴史の流れを超簡単にまとめてみた その2. 中央アジアの遊牧民族 岩村忍著 (世界の歴史, 12) 講談社, 1977. 中央アジアの歴史入門としてはおそらく最適と思われる本。 中央アジアという語は、東のゴビ砂漠、西のカスピ海、南のコペト・ダウ、ヒンドゥー・クシュ、崑崙の山々、北のアルタイ山脈とカザーフ高原にかこまれた横長の長方形区域を指す。中央アジア史は南北の歴史である。南の.

中央アジアの遊牧民族 フォーマット: 図書 責任表示: 岩村忍著 言語: 日本語 出版情報: 東京 : 講談社, 1977. ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスは信長や秀吉と謁見し日本の習慣や日本史を書いた。これにより約10年にわたって書かれた戦国時代の客観的な通年史を私たちは知ることが出来る。フロイスは長崎で26聖人の殉教を見届け執筆し亡くなっている。またポルトガル人宣教師ルイス・デ・アルメイダによって外科医術が日本に伝わる。私財を日本のライ病患者や貧しい子供達の為に使い奉仕した。 この後スペインはフェリペ2世の時代ポルトガル領土も手に入れこの国に日が沈む事が無い大帝国となる。 *フェリペ2世についての記事です *<フェリペ2世「日の沈む事無き大帝国」の国王> 日本とスペインの間を宣教師や使節が移動する。天正遣欧少年使節団が日本を出発するのが1582年、秀吉による伴天連追放は1587年。26聖人の殉教は1597年。奇しくもフェリペ2世と秀吉はどちらも同年1598年に没している。 歴史は動き時代は移り変わって行く。イエズス会と日本のキリシタン大名や2回の遣欧使節については別の章を作って書いてみたいと思います。 読んでいただいてありがとうございました。. . 10 形態: 365, 7p : 図 ; 18cm 世界の歴史 中央アジアの遊牧民族 著者名: 岩村, 忍 シリーズ名: 世界の歴史 ; 12 書誌ID: BN0241257X. 西アジアはイスラームが広まって、そのあと戦国時代みたくなって、そこにトルコ人も入ってくる。 東アジアは唐が支配して、そのあと各国が自立して、北からは契丹と女真が入ってくる。 そんでモンゴルが東西中央ぜんぶ支配して、アジアがひとつになって、火砲とか伝わる。 これが600年から1400年までのアジアの歴史。 2回目は以上。 3回目は1400年~現代(約600年間)を扱います。 15-16世紀の「モンゴル帝国よ、もういちど」の時代。 17-18世紀の「地域別世界帝国」が安定した時代。 19-20世紀の「欧米列強」がアジアを侵略していった時代。 そして21世紀。 なぜアジアはいまこのようになっているのか? その答えがここにあります。 →アジアの歴史の流れを超簡単にまとめてみた その3 (前回の記事はこちらから↓) →アジアの歴史の流れを超簡単にまとめてみた. 時代は今から2千年ほど前。西域すなわちシルクロードは唐の長安(今の中国、西安)から地中海までの陸と海の道で古代から人と物と文化の交流のルートだった。その西の端をローマ、東の端を日本のとする説もある。奈良の正倉院には今も中国を経由してやって来たインドやペルシャの宝物が保存されている。草原の道、オアシスの道、海の道と繋がり多くの人と物を運んでいた。ローマ帝国と漢の中国が既に海と陸で繋がっていた。 現在のイランにササーン朝ペルシャが成立(226年)。ここは古代からの先進地域で洗練された文明のペルシャ人はアーリア系。今もイランはアラブではなくペルシア人、アーリア系の人々が住む。ペルシャは国境を接したローマ帝国と、その後分裂したビザンチン帝国(東ローマ帝国)と約600年間揉め続け戦争しお互いに疲労していく。 繁栄をつづけたローマが衰退を始め4世紀コンスタンティヌス帝が首都をローマから東へ移動させ新しい都市を作った。そして「コンスタンチ・ノープル」と自分の名前を街につけた。その後ローマ帝国は西ローマと東ローマに分裂する。東ローマ帝国はビザンチン帝国とも呼ばれ1453年のオスマントルコの侵入迄続く。 <ローマ帝国の分裂> 道を通って遊牧民が移動する。4世紀、シルクロードを渡ってモンゴル系の匈奴の末裔といわれるフン族が襲ってきて来てゲルマン民族の大移動がはじまり西ローマ帝国は滅亡する。これにより移動したゲルマン民族が西ヨーロッパに移動して国を作り今のヨーロッパの国々の元が出来る。 <ゲルマン民族大移動図> アラビア半島では7世紀初頭予言者モハメッドが登場しイスラム教が始まる。日本では聖徳太子が活躍するのがこの時代で予言者モハメッドと生きた時代が重なる。 *イスラム教徒とウマイヤ家、スンニー派シーア派についての記事です *<イスラムの始まりとウマイヤ家> ビザンチン帝国とペルシャの長きにわたる抗争でシルクロードが安全に通れなくなり交易路はアラビア半島に迂回しメッカやメディナは貿易で繁栄しイスラム商人たちが活躍する。(イスラム教の創始者モハメッドはもともとは商人だった。)これがイスラム教が広がるのに有利に働いた。 <イスラム商人の新しいルート。シルクロートを迂回してアラビア海から紅海へ入った> ササーン朝ペルシャが滅亡(651年)して住人たちはイスラム化し、改宗したくない多くのペ.

10 形態: xiv, 365, 7p, 図版 4 p ; 18cm シリーズ名: 世界の歴史 ; 12 著者名: 岩村, 忍 書誌ID: BN0241257X 注記: 参考文献・年表: p359-365. ユーラシア大陸の中央に位置する中央アジアには広大な草原地帯が広がり、多くの遊牧民族が興亡した。 近代にはロシアの進出が著しく、ソ連もその支配を継承したが、ソ連解体にともないウズベキスタンなどの5ヵ国が分離独立した。. 中央アジアと中国との陸路のつながりは薄れていきますが、今度は新たな世界帝国となったイスラム勢力とのつながりを強めていく結果となります。 トルコ系民族が、中央アジアから西側へ拡大していったとも見ることができます。. 月氏(げっし)は紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて北アジア、中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名。東西交易で 栄え、匈奴と対立し、敗れた後は西に逃れて大月氏と呼ばれるようになる。. 紀元前6世紀から紀元後2世紀(-600年~+200年)までの800年間は、東西の2大文明圏が優勢だった時代。 つまり「文明圏>中央の騎馬遊牧民」という図式で理解できる。 だからこの800年間のアジアの主役は、東西の巨大帝国です。. 東アジアで中国沿岸部から朝鮮半島を荒らした海賊集団を倭寇(わこう)という。当時は今のような日本人とか中国人、朝鮮人と言う区別は明確に無かったようで九州から瀬戸内海を拠点として日本人やポルトガル人も含んでいたグローバル海賊集団だった。 <倭寇のルート> その中に王直がいた。王直は中国生まれで塩商人をしていたが失敗し密貿易の世界に入る。当時の明の中国では貿易は禁止されていたのでシャムやマラッカに渡り活躍していた海賊の頭目だった。1540年には五島列島に住み着き1541年には松浦隆信に召喚され平戸に移り住んだ。 1543年の台風の季節、この王直がチャーターしたジャンク船が種子島に漂着。漂着したのか王直が選んで到着したかは今も専門家の意見が分かれている。 「天文12年8月25日種子島の西の村に大船がやって来た。どこの船かもわからず見たこともない服装をしていて言葉も通じない。船にのる明国人と砂浜に杖で文字を書いて筆談をした」その筆談の通訳が王直だった。 <中国のジャンク船> 当時の種子島の領主は16歳の種子島時堯(ときたか)。南蛮人が持っていた火縄銃に興味を示しそして購入した。値段は2丁で2千両、今のお金に換算して2億円という説がある。 真偽はともかく大変な高額を支払って2つ購入し1つは種子島の刀鍛冶に渡し「同じものが作れるように」という命令が下った。家臣に火薬の調合を習わせ鍛冶屋は銃筒を作った。種子島はもともと砂鉄が取れる製鉄の島。八板金兵衛清定という鍛冶屋は似たようなものを作れるようになったが自分でどうしても解決できなかったのがネジだと言われている。日本にネジが無いのでネジ山の作り方がわからず鍛冶屋は苦悩した。 種子島には苦悩する父の為に娘の若狭は南蛮人に嫁いでネジの作り方を教えてもらったという伝説が残る。口承のみで史実は不明だが若狭の墓が残る。 <種子島の若狭の墓> もうひとつの火縄銃は紀州根来(きしゅうねごろ)の僧兵津田堅持に上納し後大量生産している。根来寺(ねごろでら)は僧兵1万を持つ軍事僧集団だった。 日本人は自分達で銃を作るようになった初めてのアジア人となる。この時種子島に来ていた堺の商人「橘屋又三郎」が火縄銃の作り方を学んで堺に持って帰り当時のヒット商品となった。鉄砲の製造と使用は瞬く間に広まり1570年石山本願寺の戦いでは8000邸の銃が使われ長篠の合. 10 形態: xiv, 365, 7p, 図版 4 p ; 18cm 著者名: 岩村, 忍 シリーズ名: 世界の歴史 ; 12 書誌ID: BN0241257X.

病原体が発見されるまでペストの蔓延は匂いによると信じられていた。臭いを消す香辛料はアジアからシルクロードを渡りベネチアの商人の手を通ると大変な高級品で銀と胡椒が同じ値段で取引されていた。マルコポーロを代表とするベネチアの商人達の最大の利益となったのが香辛料だった。 もしも地球が本当に丸いのならば関税の高いオスマン帝国を通過せず西回りでも直接持ってくることが出来ると思ったの人物がコロンブスだった。コロンブスについては謎の部分が多いがポルトガル船に乗ってポルトガル王に仕えていたことは間違いない。 丁度この頃世界地図が作られ航海術が発達してポルトガルは既に大航海時代に入っていた。1488年バーソロミュー・ディアスが喜望峰を発見した為コロンブスはポルトガル王に西回り航海の援助は断られてしまう。喜望峰からインド洋が近い事をポルトガルは手に入れた為、西回りでインドに行く意味が無くなった。更にセネガルの奴隷貿易で既にポルトガルは利益を得ていた。 <アフリカ最南端、喜望峰> ポルトガル王からの援助をあきらめたコロンブスは隣のスペインへ移動しイサベル女王に謁見する。 *イサベル女王についての記事です。 *<イサベル女王とその時代> スペインはその時まだ南スペインのイスラム教徒の国グラナダ王国の陥落戦の最中だった。「援助は無理」と断られコロンブスはスペインをあきらめようとしたが、1492年1月2日にグラナダのアルハンブラ宮殿が陥落する。 <グラナダの陥落、右側がイサベル女王とフェルナンド王> 再度会議が行われコロンブスに援助することが決まりコロンブスは西回り航海に出港することになった。 *大航海時代についての歴史記事です *<大航海時代の始まり、スペインとポルトガル> 1492年8月3日スペインを出港したコロンブスは10月12日に今のバハマ諸島に到着し、翌年西回り航海から戻ると問題が起こった。既にスペインとポルトガルで結ばれていたアルカソバス条約(1479)ではコロンブスが到着したところがポルトガル領土になっていしまう。 <アルカソバス条約> 1492年は同じ年にグラナダの陥落、コロンブスの出港とスペイン人ローマ法王の即位があった不思議な年だった。枢機卿に袖の下をばら撒きローマ法王になったアレッサンドロ6世は地球を縦に割るトルデシージャス条約を結びスペインは西へポルトガルは東へと. いつの時代も安全なルートは商売には不可欠。それを成し遂げたのは西域の遊牧民だった。モンゴル高原で分散していた遊牧民を一つにまとめ国家にしたのがチンギス・ハーン(1162~1227)だ。巨大統一国家モンゴル帝国(1206)を作ったチンギス・ハーンは騎馬軍団を引き連れ瞬く間にユーラシア大陸を制圧し中国、中央アジア、中東からヨーロッパの一部にまでもやって来た。 <チンギス・ハンの即位> 彼らの圧倒的な強さは馬の使い方。少し小ぶりの持久力のあるモンゴル馬を一人5~6頭所持し乗り換えながら移動した。重い鎧を着ないで弓を走りながら射掛ける戦法で戦った。 <モンゴル帝国最大時の領土、なんと地球上の陸地の25パーセント> モンゴル帝国は武力で占領した地域に対しては税金さえ払えば干渉せず宗教に寛容で土地に執着することも無く政策もおおらかだった。ただ抵抗する都市に対しては徹底的に虐殺をして周辺諸国に恐れられ戦う前に降伏させた当時の世界最強最大の帝国だった。イスラム系の官僚を登用しイスラム商人達を利用して大規模な交易をおこなった。 イスラム商人が中国で活躍したのは元が初めてではなくイスラム教が始まって初期の頃既に海路中国の唐の都長安にて最初のモスクが創られていた。「大食」と呼ばれたイスラム教徒たちは「ペルシャ語でアラブ人を意味するTAZI」が起源でアラブ人より先にペルシャ人商人がシルクロードを経由して中国へ来ていたようだ。驚くのは既に信用取引の紙幣にあたるものを使っていた。 <フビライ・ハーン> フビライ・ハーン(1215~1294)の時代に安全な陸路と海路が保証され関税を一元化(一度だけ払えばいい税金)してヨーロッパから中東、中国にまでわたる流通が自由になった。 そのころベネチアからやって来た商人がマルコポーロだった。17歳の時に父と叔父と共になんと24年間に渡りアジアを旅した。その距離は15000キロという。フビライ・ハーンに気に入られ17年間仕えたという説がある。「フビライ・ハーンの宮殿は途方もなく大きく豪華絢爛だった。壁は金銀で覆われ彫刻で飾られていた」とマルコは述べている。ベネチアに戻ったときはイタリア語を忘れかけていたという。 <タタールの衣装を着るマルコポーロ> マルコ・ポーロが中国についたのが1271年から1275年頃、その少し後に日本への2度の元寇が行われている。. Amazonで岩村 忍の文明の十字路=中央アジアの歴史 (講談社学術文庫)。アマゾンならポイント還元本が多数。岩村 忍作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。. 中央アジアの雄大な歴史をコンパクトにまとめた入門書。(講談社学術文庫) 東西の文明交流の担い手=遊牧民族の3千年。東から絹を西から黄金を運んだシルクロード。世界の屋根に分断された東西トルキスタン。. 世界史上、もっとも大きな影響を及ぼした遊牧民は、北アジアのモンゴル高原から中央アジア、イラン高原、アゼルバイジャン、カフカス、キプチャク草原、アナトリアを経て東ヨーロッパのバルカン半島まで至るy字の帯状に広がるステップ地帯にあった.

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